― 虐待を「特別な出来事」にしないために、介護現場の日常を見直す
「今は忙しいから、もう少し待ってもらおう」
「何度言っても分かってくれないから、少しくらい強い言い方をしても仕方がない」
「いつものことだから、大丈夫だろう」
介護の現場では、時間に追われることがあります。
ナースコールが重なり、食事介助や排泄介助が続き、記録もしなければならない。
ご利用者様から強い言葉を向けられることもあるでしょう。
そんな毎日の中で生まれる、ほんの小さな「このくらいなら」
実は、高齢者虐待を防ぐために大切なのは、重大な虐待が起きてから「誰が悪かったのか」
を考えることだけではありません。
日常の介護の中にある小さな変化に、どれだけ早く気づけるか。
そこから虐待防止を考える必要があります。
高齢者虐待は、暴力だけではありません
高齢者虐待は、大きく5つに分類されます。
身体的虐待、心理的虐待、経済的虐待、性的虐待、介護等放棄(ネグレクト)です。
叩く、殴る、蹴るといった行為だけが虐待ではありません。
食事を無理に口へ入れる。排泄の失敗を人前で笑う。「早くして」「何回言ったら分かるの」と威圧する。必要な介護を長時間行わない。本人の金銭を無断で使用する。
こうした行為も、高齢者の身体や心、生活、権利を傷つけるものです。
厚生労働省の「高齢者虐待の実態把握等のための調査研究事業」では、養介護施設従事者等による虐待で特定された被虐待者2,335人について、身体的虐待を含むケースが51.3%、心理的虐待24.3%、介護等放棄22.3%、経済的虐待18.2%、性的虐待2.7%でした。また、虐待に該当する身体拘束も25.6%確認されています。※複数回答
「悪い人」だけが起こす問題なのでしょうか
虐待という言葉を聞くと、
「自分は殴ったりしない」
「うちの施設にはそんな職員はいない」
と思うかもしれません。
しかし、本当に注意したいのは、もっと手前にある行動です。
忙しいから、ナースコールへの対応を後回しにする。
食事が進まないので、焦って次々と口へ運ぶ。
何度も同じことを聞かれ、つい強い口調で返してしまう。
排泄介助を拒否され、「またですか」と苛立ちを表情に出してしまう。
最初から「傷つけよう」と考えているわけではないかもしれません。
だからこそ、自分自身でも不適切なケアに近づいていることに気づきにくいのです。
そして周囲も、
「忙しいから仕方がない」
「あの職員はいつもあんな話し方だから」
と受け流すようになる。
一番怖いのは、不適切なケアが繰り返され、それが「普通」になってしまうことではないでしょうか。
「誰にも見られていない場所」での介護
厚生労働省の同調査では、発生時間・場所・状況まで確認できた161人を参考集計したところ、発生場所では**居室(寝室)内が55.3%**と最も高くなっていました。また、夜間に該当するものも36.6%ありました。なお、この集計は対象が限られ、報告書自身も参考分析であることに注意が必要です。
介護は、居室、浴室、トイレなど、職員とご利用者様だけになる場面が少なくありません。
だからこそ、
「もし今の介助を第三者が見ていたら、どう感じるだろう」
という視点を持つことが大切です。
声の大きさはどうか。
言葉遣いはどうか。
身体の扱い方は乱暴になっていないか。
本人の気持ちを置き去りにしていないか。
第三者の視点で自分たちの介護を振り返ることは、虐待を防ぐ一つの方法になります。
特に気をつけたい「言葉の乱れ」
介護では、身体に触れる技術だけでなく、言葉もケアの一部です。
「早くして」
「またですか」
「何回言えば分かるんですか」
「どうせ分からないでしょう」
最初は一度だけだった言葉が繰り返されると、本人も周囲の職員も慣れてしまいます。
そして、さらに強い言葉や乱暴な対応へ進んでしまう可能性があります。
実際、厚生労働省の調査で示された虐待事例にも、威圧的な声かけや命令、排泄失敗への侮辱、大声で怒鳴るといった行為が含まれています。
「まだ虐待ではないから大丈夫」ではなく、
「この対応を続けて大丈夫だろうか」
と考えることが重要なのだと思います。
ご利用者様を守るためには、介護職員も守らなければならない
一方で、介護職員だけに「もっと優しく」「我慢してください」と求め続けるだけでは、虐待防止にはつながりません。
介護職員も人です。
ご利用者様から怒鳴られることもあります。暴言や暴力を受けることもあります。人手が足りず、
一人に負担が集中する日もあるでしょう。
それでも、「介護職なんだから仕方がない」「みんな大変だから相談できない」
と抱え込ませてしまえば、心身は疲弊していきます。
厚生労働省も、介護現場におけるハラスメント対策について、事業者として取り組む必要性を示しています。
虐待を防ぐために必要なのは、職員個人の忍耐力だけではありません。
困ったときに相談できる。
一人で抱え込ませない。
職員同士で介護を振り返ることができる。
そんな職場をつくることも、大切な虐待防止です。
虐待防止は「気づくための教育」から
虐待防止研修の目的は、5種類の虐待を暗記することだけではありません。
「この声かけは適切だっただろうか」
「待たせることが当たり前になっていないだろうか」
「本人が嫌がっているのに、こちらの都合で介助を進めていないだろうか」
日常の介護を立ち止まって考えるための共通の基準を持つことに意味があります。
チェックリストや研修、事例検討などを通じて、職員同士で「これはどうだろう」と
話せる環境をつくる。
「動画でOJT介護」の座学編でも、高齢者虐待の5つの類型だけでなく、日常の介護の中でどのような行為が虐待につながり得るのか、具体的な場面を通して学べるようにしています。
大切なのは、誰かを責めるために学ぶことではありません。
自分たちの介護を振り返り、虐待に近づく小さな変化に早く気づくために学ぶことです。
高齢者虐待は、どこか遠くの施設だけで起こる特別な出来事ではありません。
「このくらいなら」という小さな感覚の変化を見逃さないこと。
そして、職員が苦しいときには声を上げられる職場であること。
ご利用者様の尊厳を守ることと、介護職員を守ること。
その両方を大切にできる介護現場をつくることこそ、本当の意味での「高齢者虐待の防止」につながるのではないでしょうか。



