「何を食べたか」と「食べたこと自体」を忘れる違い
「人の名前がなかなか出てこない」
「何を取りに来たのか忘れてしまった」
「昨日の夕食に何を食べたか思い出せない」
年齢を重ねると、このような経験が増えてきます。
「もしかして認知症では?」と心配になる方もいるでしょう。
しかし、加齢による自然な「もの忘れ」と、認知症でみられる「記憶障害」は、
必ずしも同じものではありません。
その違いを知るには、単に「忘れたかどうか」ではなく、どのように忘れているのかに
目を向けることが大切です。
年齢とともに「思い出す力」は変化する
私たちの記憶は、大きく「覚える」「保つ」「思い出す」という働きによって成り立っています。
専門的には、それぞれ記銘(きめい)・保持・想起と呼ばれます。
加齢によるもの忘れでは、覚えた情報がすべて失われたというよりも、必要な情報を取り出す
「想起」に時間がかかることがあります。
たとえば、テレビでよく知っている俳優を見て、
「この人、名前は何だったかな……」
と思い出せなくても、しばらくして「ああ、○○さんだ」と思い出す。
あるいは、「昨日の夕食は何だった?」と聞かれてすぐには答えられなくても、
「魚を食べたよね」とヒントをもらうことで思い出す。
こうしたことは、加齢に伴ってみられることがあります。
認知症では「出来事そのもの」を覚えていないことも
一方、認知症による記憶障害では、単に思い出すまで時間がかかるだけではなく、新しく経験した出来事を記憶として十分に取り込んだり、保ったりすることが難しくなる場合があります。
特にアルツハイマー型認知症では、比較的新しい出来事に関する記憶(近時記憶やエピソード記憶)の障害が早期からみられることがあります。
たとえば、
「昨日の夕食に何を食べたか思い出せない」のと、
「昨日、家族と外食したこと自体を覚えていない」
のとでは、「忘れ方」が異なります。
前者では「夕食を食べた」という出来事は覚えています。一方、後者では「家族と外食した」という体験そのものの記憶が抜け落ちている可能性があります。
そのため、家族や介護者から、
「昨日みんなで食べに行ったでしょう?」
と説明されても、ご本人には「そんなことはしていない」と感じられることがあります。
ここは、認知症のある方とのコミュニケーションを考えるうえでも、とても重要なポイントです。
「さっき言ったでしょう」が伝わらないのはなぜ?
介護の場面では、同じ質問を何度も受けることがあります。
「今日、娘は来るの?」
「ご飯はまだ?」
「私はいつ家に帰るの?」
介護する側からすれば、「さっき説明したばかりなのに」と思うかもしれません。
しかし、認知症による記憶障害がある場合、先ほど聞いた内容が新しい記憶として十分に残っていなければ、ご本人にとっては同じ質問を繰り返しているのではなく、毎回初めて尋ねている感覚かもしれません。
その状態で、
「さっき言いましたよ」
「何度聞くんですか」
と繰り返し指摘されても、ご本人にはなぜ注意されているのか理解しにくく
不安や戸惑いにつながることがあります。
介護では、「正しいことを思い出してもらう」ことだけにこだわるのではなく、
「なぜ今、このことを何度も尋ねるのだろう」
と考えてみることも大切です。
帰宅時間を繰り返し尋ねる背景には、「ここにいて大丈夫なのか」という不安が
あるかもしれません。「ご飯はまだ?」という言葉の背景にも、空腹だけではない
別の思いが隠れていることがあります。
表面的な言葉だけでなく、その背景にある気持ちを考えることが、認知症ケアの
大切な視点の一つです。
実際の介護では、このような場面で「何と答えるか」「どのように接するか」に迷うことも少なくありません。NAIのOJT介護動画では、こうした日常の介護場面を通して、利用者様の言動をどのように捉え、どのような関わり方が考えられるのかを紹介しています。
文章で知識を得るだけでなく、実際のやり取りを見ることで、声のかけ方や距離の取り方など、より具体的にイメージしやすくなります。
「忘れた=認知症」とは限らない
注意したいのは、もの忘れだけで認知症と判断することはできないということです。
睡眠不足、疲労、ストレス、気分の落ち込み、薬の影響、身体疾患などによっても、
注意力や記憶力が低下することがあります。また、認知症にはさまざまな原因疾患があり、
症状の現れ方にも個人差があります。
大切なのは、「忘れる回数」だけではなく、以前と比べて日常生活にどのような変化が生じているかを見ることです。
同じ質問を短時間に繰り返す、約束したこと自体を覚えていない、服薬や金銭管理が難しくなった、慣れていた家事の手順が分からなくなったなど、これまでできていた生活に変化が続いている場合には注意が必要です。
気になる変化が続く場合は、「年齢のせい」と決めつけず、かかりつけ医や専門医療機関などに
相談することも大切です。
「何を忘れたか」より「どのように忘れたか」
高齢者の記憶について考えるとき、「忘れたから認知症」「思い出せたから大丈夫」と単純に分けることはできません。
何を忘れているのか。
出来事そのものは覚えているのか。
ヒントがあれば思い出せるのか。
そして、生活にどのような変化が生じているのか。
こうした視点から、その人の「忘れ方」を丁寧に見ていくことが大切です。
そして介護の現場では、「なぜ覚えていないの?」と考えるだけでなく、
「今、この方にはどのように感じられているのだろう?」と考えてみる。
記憶障害の仕組みを知ることは、認知症を理解するためだけではありません。
目の前にいる高齢者の言葉や行動を理解し、よりよい関わり方を考えるための
第一歩にもなるのです。




