― 身体拘束と虐待。その境界を知ることから、ご利用者様の尊厳を守る介護を考える
「転んだら危ないから、立たないでください」
「ベッドから落ちたら大変だから、柵で囲んでおこう」
「点滴を抜いてしまうから、ミトンをつけておこう」
介護の現場では、ご利用者様の安全を守るために、このような対応を考えることがあります。
そこに悪意があるとは限りません。
むしろ、「転倒させたくない」「けがをさせたくない」「命を守りたい」という思いから出てくる対応かもしれません。
しかし、その「安全のため」が、ご利用者様の行動の自由を奪う身体拘束になっているとしたら――。
私たちは、どこで立ち止まればよいのでしょうか。
身体拘束は、高齢者虐待とも深く関係しています。
一方で、身体拘束には「緊急やむを得ない場合」という例外があります。
ここに、この問題を理解する難しさがあります。
身体拘束と虐待。その関係をどう考えればよいのでしょうか
身体拘束と虐待について考えるとき、
「身体拘束は虐待なのか、それとも違うのか」
と迷う方もいるのではないでしょうか。
厚生労働省の「介護施設・事業所等で働く方々への身体拘束廃止・防止の手引き」では、
身体拘束を「本人の行動の自由を制限すること」としています。
介護保険法に基づく運営基準では、身体的拘束その他利用者の行動を制限する行為は、
生命または身体を保護するための「緊急やむを得ない場合」を除き、原則として禁止されています。
また、適正な手続きを経ていない身体的拘束等は、原則として高齢者虐待に該当するとされています。
ここで大切なのは、
「身体拘束には例外があるから、必要なら行ってよい」
と考えないことです。
基本にあるのは、あくまで「身体拘束は原則禁止」という考え方です。
そのうえで、生命や身体を守るため、極めて限定された条件を満たす場合にのみ、
「緊急やむを得ない場合」として例外的に認められます。
この「原則」と「例外」の両方を正しく理解することが、身体拘束を考える出発点になります。
紐で縛ることだけが身体拘束ではありません
身体拘束と聞くと、ベッドや車いすに身体を紐で縛る場面を想像するかもしれません。
しかし、それだけではありません。
厚生労働省の手引きでは、身体拘束にあたる具体的な行為として、代表的な11項目が示されています。
例えば、
ベッドをサイドレールで囲んで自分で降りられなくする。
点滴などを抜かないように、ミトン型の手袋をつける。
立ち上がれないように、車いすテーブルや拘束帯を使用する。
脱衣やおむつ外しを制限するために、つなぎ服を着せる。
行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服用させる。
自分の意思で開けることのできない居室などに隔離する。
こうした行為も、身体拘束の具体例です。
ただし、大切なのは、これらの項目だけを覚えて「これをしなければ大丈夫」と考えることではありません。
厚生労働省の手引きでも、これらの項目はあくまで例示とされています。
つまり、ここに書かれていない行為であっても、
「本人の行動の自由を制限していないか」
という視点で考える必要があります。
「転びそうだから」だけでは、理由になりません
では、転倒する危険性がある場合はどうでしょう。
「転んで骨折するくらいなら、立たないようにした方が安全ではないか」
現場では、そう考えたくなることもあるでしょう。
しかし、「危険だから」という理由だけで身体拘束を行うことはできません。
「緊急やむを得ない場合」と認められるには、
「切迫性」「非代替性」「一時性」
という3つの要件をすべて満たす必要があります。
「切迫性」は、本人または他の利用者等の生命・身体が危険にさらされる可能性が著しく高いこと。
「非代替性」は、身体拘束以外に代わる方法がないこと。
「一時性」は、身体拘束などの行動制限が一時的なものであることです。
厚生労働省の手引きでは、この3要件を満たすケースは「極めて少ない」としています。
「転びそうだから」
「夜勤で職員が少ないから」
「見守り続けることが難しいから」
といった施設側の事情だけで、例外になるわけではありません。
また、ご家族から「危ないので拘束してください」と求められたとしても、
家族の同意だけで身体拘束が認められるわけではありません。
本人の状態を確認し、拘束以外の方法を十分に検討したうえで、
それでも必要なのかを関係者が慎重に判断します。
そして、その判断は一人の介護職員に任せるのではなく、組織として行うことが重要です。
「安全のため」が、新たな危険を生むこともあります
身体拘束は、身体を動かす機会を奪うことで、筋力低下や関節の拘縮、食欲低下、
心肺機能の低下などにつながる可能性があります。
認知症の進行やせん妄、意欲低下を招くこともあります。
「安全のため」に始めた拘束によって心身機能が低下し、さらに介護が必要になり、
その結果、新たな拘束につながる。
だからこそ、「拘束すれば安全になる」
と単純に考えることはできません。
そして、もう一つ注意したいのが「慣れ」です。
最初は「今日だけ」「危ないときだけ」だったものが繰り返されると、
いつの間にか日常のケアに入り込んでしまうことがあります。
「○○さんは、いつもミトンだから」
「この人は立つと危ないから」
そうして、拘束している状態そのものを疑わなくなる。
これは、以前のブログで高齢者虐待について取り上げた「このくらいなら」という感覚にも通じます。
身体拘束をしているという意識そのものが薄れてしまうことに、私たちは注意しなければなりません。
外国人介護職員にも「なぜ」を伝えられていますか
そして現在、多くの介護施設で考えなければならないのが、外国人介護職員への教育です。
日本の介護現場では、さまざまな国や文化的背景を持つ人たちが一緒に働いています。
母国で受けてきた教育も、高齢者介護に対する考え方も、日本の制度についての知識も同じではありません。
だからこそ、
「身体拘束は禁止です」
「この11項目を覚えてください」
と伝えるだけでは十分ではないと私たちは考えています。
なぜ、安全のためでも自由を制限することに慎重でなければならないのか。
なぜ例外的に身体拘束を行う場合、一人で判断してはいけないのか。
なぜ記録を残し、必要性を繰り返し見直さなければならないのか。
その背景にある「人権」「尊厳」「自立支援」まで理解して初めて、現場での判断につながるのではないでしょうか。
これは外国人職員だけの問題ではありません。
日本人職員も外国人職員も同じ基準で学び、「なぜ」を共有することが重要だと思います。
身体拘束をなくすために必要なのは、「知識」だけではありません
身体拘束のない介護を目指すことは、簡単ではありません。
人手が足りない。
転倒事故は防ぎたい。
夜間は職員が少ない。
認知症のある方への対応に悩む。
これが介護現場の現実だと思います。
しかし、その現実があるから身体拘束を仕方がないものにするのではなく、
「なぜ、この方は立とうとしているのだろう」
「なぜ、チューブを抜こうとするのだろう」
「拘束以外に方法はないだろうか」
と考え続けることが必要です。
そして、その判断を一人に任せず、多職種で話し合い、記録し、見直していく。
NAI「動画でOJT介護」座学編「身体拘束の理解」でも、身体拘束の具体例や3要件だけでなく、
こうした考え方を介護職員が共通して理解できるようにしています。
日本人職員も外国人職員も、
「これは身体拘束ではないか」
「本当にほかの方法はないのか」
「今も続ける必要があるのか」
と職員同士で話せる。
動画による学習は、そのための共通の土台をつくる一つの方法だと私たちは考えています。
「安全のため」で終わらせない介護へ
身体拘束の問題には、簡単な答えがない場面があります。
生命や身体を守ることは、もちろん重要です。
しかし、事故を防ぐことだけが介護の目的ではありません。
自分で立つ。自分で歩く。自分の意思で行動する。
人としての自由を持ち、その人らしく生活する。
それも介護が守るべき大切なものです。
だからこそ、「危ないから仕方がない」で終わらせない。
身体拘束を行わない方法を考え、それでも本当に必要なのかを組織で判断し、
必要でなくなれば直ちに解除する。
そして、「この介護は、本当にこの方の尊厳を守っているだろうか」と問い続けること。
身体拘束について学ぶことは、「してはいけない行為」を覚えることだけではありません。
ご利用者様の安全と自由、そして人としての尊厳を、私たち介護に携わる者がどう守っていくのか。
その介護の原点を、もう一度考えることなのではないでしょうか。




