ご利用者様の尊厳を守ることと、介護職員を守ること。その両方を支える教育について考えます。


「ごめんなさい。また迷惑をかけてしまいました……。」

ベッドの上で、小さな声で利用者様がつぶやきます。

その声には、長年生きてこられた方が抱える、深い申し訳なさと恥ずかしさが滲んでいます。かつては誰の手も借りずに自分の身の回りのことをこなしてきた方が、いま人の手を借りなければ排泄すら難しくなっている──その事実を、ご本人が誰よりも痛感しているのです。

新人の介護職員は「大丈夫ですよ。」と声を掛けながら、慣れないオムツ交換に精一杯です。

手袋越しに感じる緊張、初めて向き合う場面での戸惑い、失敗してはいけないというプレッシャー。頭の中では研修で学んだ手順を必死に思い出しながら、それでも思うように手が動きません。利用者様に痛い思いをさせないように、恥ずかしい思いをさせないように、必死に神経を張り巡らせています。

交換が終わり部屋を出ると、先輩職員から一言。

「まだ時間がかかるね。」

もちろん悪気はありません。

早く一人前になってほしいという思いから出た言葉でしょう。効率よく業務を回さなければならない現場では、時間の感覚はどうしてもシビアになります。先輩職員自身も、かつては同じように時間がかかっていたはずですが、いまではそのことを忘れてしまっているのかもしれません。

しかし、その一言は新人職員の胸に深く残ります。

「また迷惑を掛けてしまった。」

「私は介護に向いていないのかもしれない。」

そんな思いが少しずつ積み重なり、やがてオムツ交換そのものが「苦手な介護」になってしまいます。

一度「苦手」というレッテルを自分自身に貼ってしまうと、その業務に向かうたびに気持ちが重くなります。緊張が動きをぎこちなくし、ぎこちない動きがまた失敗や時間超過を生み、それがさらに苦手意識を強めていく─こうした悪循環に陥ってしまう新人職員は少なくありません。

介護職員が苦手意識を持ちやすい業務の一つが、排泄介助です。

利用者様の尊厳に深く関わる大切な介護であることは、誰もが理解しています。

それでも、「分かっている。でも正直苦手です。」という声がなくならないのはなぜでしょうか。

今回は、その理由について考えてみたいと思います。そして、「苦手」を「できる」に変えるためには、どのような教育のあり方が必要なのかについても、一緒に考えていきたいと思います。


「できない」のではなく、「怖くなる」

新人職員が初めてオムツ交換を経験するとき、多くの不安を抱えています。

その不安は、決して一つや二つではありません。いくつもの不安が重なり合って、心の中に大きな重しとなってのしかかっています。

排泄物への生理的な嫌悪感。

これは人間としてごく自然な感覚であり、決して恥ずべきものではありません。しかし、その自然な感覚を「プロなのだから抑えるべき」と自分に言い聞かせ続けることは、想像以上に大きなストレスとなります。

臭いへの抵抗。

利用者様の羞恥心を傷つけてしまわないかという緊張。

ベッド上での体位変換。

中腰姿勢が続くことによる腰への負担。

限られた時間内に業務を終えなければならないというプレッシャー。

さらに認知症の利用者様から突然怒鳴られたり、腕を払われたり、時には暴力を受けることもあります。

利用者様に悪気があるわけではないと頭では分かっていても、突然の言葉や行動に心が萎縮してしまうのは当然のことです。特に新人の頃は、そうした反応にどう対処すればよいのか、経験の蓄積がまだありません。

そのたびに、

「また失敗したらどうしよう。」

「また怒られるかもしれない。」

「今日もうまくできなかったらどうしよう。」

そんな気持ちが先に立ちます。

すると苦手だった介護は、「怖い介護」へ変わってしまいます。

「苦手」と「怖い」は、似ているようでまったく違います。苦手なだけであれば、練習や経験を積むことで克服できる可能性があります。しかし、恐怖の感情が伴ってしまうと、その業務に向かうこと自体が精神的な苦痛となり、離職を考えるきっかけにもなってしまうのです。

介護の現場で人材の定着が難しい理由の一つは、まさにこの「苦手」から「怖い」への変化を、周囲が気づかないうちに新人職員が抱え込んでしまうことにあります。


利用者様にも、介護職員にも、それぞれのつらさがあります。

排泄介助というと、「利用者様の尊厳」という言葉がよく使われます。

もちろん、それはとても大切です。

利用者様には羞恥心があります。

かつては当たり前にできていたことが、加齢や病気によってできなくなっていく。その現実と向き合うことは、私たちが想像する以上に深い喪失感を伴います。

「また迷惑を掛けてしまった。」

「申し訳ない。」

「こんな姿を他人に見られたくない。」

そう思いながら介助を受けている方も少なくありません。表面上は穏やかに見えても、心の中では深い葛藤を抱えていらっしゃる方が多いのです。

だからこそ、何気ない声掛け一つが安心につながります。

「大丈夫ですよ、お気になさらないでください。」

「私たちのお仕事ですから。」

「今日はお天気が良いですね。」

そうした何気ない言葉が、利用者様の張り詰めた気持ちを少しでも和らげることがあります。

しかし、その一方で介護職員も決して楽ではありません。

身体的な負担。

精神的な負担。

そして、生理的な嫌悪感と向き合いながら介助を続けています。

さらに、限られた人員で多くの利用者様を担当する現場では、一人ひとりに十分な時間をかけたくてもかけられない、というジレンマもあります。「もっと丁寧にやってあげたいのに、時間がない」─そんな葛藤を抱えながら、日々の業務に向き合っている職員も少なくないのです。

「尊厳を守る介護。」

その言葉は間違っていません。

しかし、現場はきれいごとだけでは成り立ちません。

利用者様にも苦しさがあり、介護職員にも苦しさがあります。

どちらか一方を優先しすぎると、もう一方に無理が生じます。利用者様の尊厳ばかりを強調するあまり、介護職員の心身が疲弊してしまえば、結果的に良い介護を長く続けることはできません。逆に、職員の効率ばかりを優先すれば、利用者様の尊厳が損なわれてしまいます。

だからこそ必要なのは、どちらか一方だけを考えることではなく、

双方を支える介護ではないでしょうか。

利用者様の尊厳と、介護職員の心身の健康。この二つは対立するものではなく、両立させていくべきものです。そして、その両立を可能にするのが、体系的で実践的な教育なのです。


「教える側」もまた、悩んでいます。

実は、この問題は新人職員だけではありません。

教育担当者や先輩職員も、

「どう教えればよいのだろう」という悩みを抱えています。

教える側の悩みは、外からは見えにくいものですが、決して小さくはありません。自分自身の業務を抱えながら、新人の指導にも時間と労力を割かなければならない。しかも、教え方の正解が明確に決まっているわけでもありません。

長年介護をしている職員ほど、身体の動かし方や利用者様への声掛けは自然にできるようになっています。

経験の中で身につけた感覚は、いわば「暗黙知」となっており、意識せずとも身体が動くようになっています。しかし、この暗黙知こそが、教育の場面では大きな壁になることがあるのです。

だからこそ、

「もう少し利用者様に近づいて」

「そこを支えて」

「身体をこちらへ向けて」

とは言えても、

「なぜそうするのか」

を言葉で説明することは意外と難しいものです。

「なんとなくこうしている」「昔からこうやってきた」─こうした説明では、新人職員は納得することも、応用することもできません。

新人職員は動きを真似することはできても、その理由が分からなければ応用ができません。

利用者様の状態は一人ひとり異なり、日々変化していきます。マニュアル通りにいかない場面が必ず出てきます。そのとき、動きの「理由」を理解していれば、状況に応じて柔軟に対応できます。しかし、理由を知らずに動きだけを覚えていると、想定外の場面で立ち往生してしまうのです。

外国人介護職員であれば、日本語だけでなく、日本独特の介護文化や利用者様への配慮まで理解しなければなりません。

「見て覚えて」

「やってみて」

だけでは、不安が残るのは当然です。

言葉の壁、文化の壁、そして技術の壁。それらを同時に乗り越えなければならない外国人職員にとって、体系的で分かりやすい教材の存在は、何よりも心強い支えとなります。逆に、それがないままOJTだけで学ばせようとすれば、離職や技能不足につながってしまうリスクが高まります。

だからこそ教育とは、「やり方」だけでなく、

「理由」まで伝えることが大切なのです。

理由を理解した学びは、応用力を生みます。応用力は、自信を生みます。そして自信は、利用者様への丁寧で安心できる介護へとつながっていきます。


身体を守ることも、大切な介護技術です。

オムツ交換は利用者様だけを支える介護ではありません。

介護職員自身の身体も守らなければ、長く働き続けることはできません。

介護の仕事は、心の優しさだけで成り立つものではありません。日々の業務は身体を酷使する場面の連続であり、身体を壊してしまえば、いくら気持ちがあっても続けることができなくなってしまいます。

ベッド上での体位変換。

中腰姿勢。

利用者様を無理に持ち上げる動作。

こうした動作を繰り返せば、腰痛につながります。

介護職員の腰痛は、業界全体で長年にわたって深刻な課題とされてきました。腰を痛めてしまい、志半ばで現場を離れざるを得なくなった職員の話は、決して珍しいものではありません。

だからこそ重要なのが、ボディメカニクスです。

ボディメカニクスとは、人間の身体の構造や力学的な特性を活かして、最小限の力で最大限の効果を得る介助技術のことです。てこの原理、支持基底面の広さ、重心の位置──こうした基本原理を理解し、実践することで、介護職員自身の身体への負担を大きく減らすことができます。

ボディメカニクスは、「知っている。」だけでは意味がありません。

現場で自然に使える技術になって初めて意味があります。

知識として頭に入っていても、実際の介助場面で使えなければ意味がありません。忙しい業務の中で、無意識のうちに正しい姿勢と動作ができるようになるまで、繰り返し身体に覚え込ませる必要があります。

教育とは、利用者様を守るためだけでなく、

介護職員自身を守るためのものでもあるのです。

職員が長く健康に働き続けられる環境をつくること。それこそが、結果的に利用者様への継続的で質の高い介護につながっていきます。介護職員の身体を守る教育は、決して自己中心的なものではなく、利用者様のためでもあるのです。


私たちが排泄介助を細かく教材にしている理由

私たちは排泄介助を、一つの動画だけで終わらせませんでした。

「排泄介助」とひとくくりに言っても、そこには実に多様な場面と方法が含まれています。それらを一本の動画にまとめてしまえば、それぞれの場面に必要な細やかな配慮や技術が伝わりきりません。だからこそ、私たちは場面ごとに分けて教材を制作することにこだわりました。

動画でOJT介護 第9章-排泄では、以下のような場面を、それぞれ独立した教材として制作しています。

  • 一般的なトイレ介助
  • リハビリパンツ
  • オムツの役割と種類
  • 寝て過ごす時間が長い方のオムツ交換(テープ止めタイプ アウター+パッド)
  • ポータブルトイレ I・II
  • 尿器・便器
  • トイレ環境

それは、利用者様一人ひとりで必要な介助が違うからです。

歩行が可能な方への介助と、寝て過ごす時間が長い方への介助では、必要な技術も配慮も大きく異なります。ポータブルトイレを使う方への介助と、尿器・便器を使う方への介助でも、注意すべきポイントは変わります。それぞれの場面に応じた学びができるように、教材を細かく分けているのです。

動画では、「どうするか」だけではなく、

「なぜそうするのか」を大切にしています。

  • 利用者様の羞恥心に配慮した声掛け。
  • 皮膚状態や褥瘡の観察。
  • 感染予防。
  • そして、介護職員自身の身体を守るボディメカニクス。

一つひとつの動作には理由があります。

例えば、体位変換を行う際にどの方向から行うのか、どこに手を添えるのか、どのタイミングで声を掛けるのか──すべてに意味と理由があります。その理由を知ることで、職員は「言われたからやる」のではなく、「利用者様のためにこうする」という主体的な姿勢で介助に臨めるようになります。

その理由まで理解して初めて、自信を持って介助できるようになります。

自信は、利用者様への安心感にもつながります。おどおどとした介助は、利用者様の不安を煽ります。落ち着いた、理由を持った介助は、利用者様に「この人に任せて大丈夫だ」という安心感を与えます。

さらに、内容は医学・介護の専門的な視点から検証を重ね、多言語についても単なる翻訳ではなく、「その言葉で本当に伝わるか」という点まで確認しています。

翻訳は、単に言葉を置き換えるだけでは意味がありません。その国の文化や介護の背景を理解したうえで、学ぶ人の心に届く表現になっているか──そこまで踏み込んで検証することが、真に使える教材には不可欠なのです。

私たちが目指しているのは、「動画を見ること」ではありません。

現場で、「できる」につながる教材です。

動画を見て終わり、ではなく、明日の現場で実際に活かせる。そして、繰り返し見返すことで理解が深まり、少しずつ「できる」ようになっていく。そんな教材でありたいと願っています。


「苦手」を責めるのではなく、「できる」に変える教育へ

介護職員は、排泄介助が好きだから仕事を続けているわけではありません。

正直に言えば、排泄介助が「好きな仕事」だという職員は、そう多くはないでしょう。それでもこの仕事を続けているのは、別の理由があるからです。

利用者様に安心して生活していただきたい。

その思いで、毎日利用者様と向き合っています。

「ありがとう」の一言。

穏やかに眠りにつく利用者様の表情。

少しでも快適に過ごしていただけたときの安堵。

そうした瞬間が、日々の疲れや辛さを乗り越える力になっています。

だからこそ、苦手な介護を「我慢」で乗り越えるのではなく、

「理解」と「技術」で乗り越えられる教育が必要なのではないでしょうか。

我慢だけで続けていれば、いつか限界が来ます。心が折れ、身体が壊れ、離職につながります。しかし、理解と技術によって「できる」に変わっていけば、我慢する必要そのものが少しずつ減っていきます。

「まだできないの」

では、人は育ちません。

責める言葉、比較する言葉、追い詰める言葉──これらは新人職員の可能性を奪ってしまいます。人は、認められることで成長します。理解されることで安心します。安心した人だけが、次の一歩を踏み出せるのです。

「なぜそうするのか」

「どうすれば利用者様も介護職員も安心できるのか」

それを理解し、何度でも学び直せる環境が、人を育てます。

一度学んだだけでは、忘れてしまうのが人間です。何度でも見返せる、何度でも復習できる、そんな環境があってこそ、知識は本当の技術へと定着していきます。

利用者様の尊厳を守ること。

介護職員の身体と心を守ること。

そのどちらか一方ではなく、

その両方を支えることが、本当の介護教育だと私たちは考えています。

どちらか一方を犠牲にして成り立つ介護は、長続きしません。両方が守られてこそ、持続可能な、そして質の高い介護が実現します。

私たちはこれからも、介護技術だけを伝える教材ではなく、

介護職員が「苦手」を「できる」に変え、自信を持って利用者様と向き合える教育とは何か。

その答えを現場とともに考え、学び続けられる教材づくりを続けていきたいと思っています。

現場の声を聞き、現場と共に育つ教材。それこそが、これからの介護教育に本当に必要なものではないでしょうか。私たちはこれからも、現場で働くすべての介護職員が、誇りと自信を持って働き続けられる未来を目指して、教材づくりに取り組んでまいります。