― バイスティックの7原則から考える、介護におけるコミュニケーション

「危ないから、こちらにしましょう」

「それはやめておいた方がいいですよ」

「そんなことを言ったら、ご家族がかわいそうですよ」

介護の現場では、ご利用者様のことを思って、このような言葉をかけることがあります。

そこに悪意はありません。

むしろ、「この人のために」という気持ちから出た言葉でしょう。

しかし、言われたご利用者様はどう感じているでしょうか。

「自分の気持ちを聞いてもらえなかった」

「自分のことなのに、また人に決められてしまった」

そう感じているかもしれません。

介護におけるコミュニケーションは、単に「優しく話す」「話をよく聞く」ということだけではありません。

相手を一人の人間として理解し、その人の感情や価値観、自分で決める権利まで尊重する。

そのための基本的な考え方が、**「バイスティックの7原則」**です。

NAI「動画でOJT介護」座学編では、この7つの原則を、介護現場で起こり得る具体的な事例を交えて紹介しています。

1.「高齢者」とひとくくりにしない ― 個別化の原則

同じ80歳。同じ要介護度。同じ施設で生活している。

それでも、同じ人ではありません。

学校の先生だった人、警察官だった人、家庭を守ってきた人。

育った環境も、経験も、大切にしてきたことも違います。

それなのに私たちは無意識に、

「高齢者だから」

「認知症だから」

「以前の○○さんと似ているから」

と、目の前の人を過去に出会った誰かと重ねてしまうことがあります。

しかし、似ていることと同じであることは違います。

「この人は、この人である」

そこからコミュニケーションは始まります。

2.答えを出す前に、気持ちを聞く ― 意図的な感情表出の原則

例えば、ご利用者様から、

「施設長の話し方が嫌なのよ」と言われたとします。

「そんなに悪い人ではありませんよ」と説明したくなるかもしれません。

でも、それで話は終わってしまいます。

「そのとき、どう思いましたか?」

「どんな気持ちになりましたか?」そう問いかけ、うなずきながら話を聞く。

すぐに解決策を提示するのではなく、まず本人が自分の感情を表現できるようにすることが大切です。

そして、それを可能にするのは、日頃から積み重ねてきた職員との信頼関係です。

3.寄り添うことと、一緒に怒ることは違う

話を聞いて、「それはひどいですね。私もそう思います」

と同調したくなることもあるでしょう。

しかし、「統制された情緒的関与の原則」が教えているのは、共感しながらも、その感情に巻き込まれないことです。

悲しい気持ちには寄り添う。

腹が立った気持ちも受け止める。

しかし、一緒になって誰かを攻撃するのではなく、専門職として一歩離れたところから本人を支える。これは簡単そうに見えて、実際には高度なコミュニケーション技術です。

4. 自分の「常識」で、その人を裁かない

「受容の原則」と「非審判的態度の原則」も深くつながっています。

例えば、

「今度息子が来たら、ずっと面会に来なかったことを嫌味たっぷりに言ってやる」

と話すご利用者様がいたとします。

思わず、「そんなことを言ったらかわいそうですよ」

と言いたくなるかもしれません。

でも、その「かわいそう」「そんなことを言ってはいけない」は、誰の価値観でしょうか。

親子には、他人には分からない長い歴史があります。

もちろん、何でも賛成すればよいという意味ではありません。

大切なのは、すぐに善悪を決めるのではなく、

「なぜ、この人はそう思ったのだろう」と背景を考えることです。

介護職員は、ご利用者様の人生の審判をする人ではありません。

その人を理解し、支援する立場なのです。

6.「あなたのために決めました」でよいのでしょうか

自己決定の原則は、介護現場で特に難しいものかもしれません。

足腰が弱ってきたご利用者様がいる。

転倒を防ぐなら車いすの方が安全かもしれない。

しかし、リハビリを続ければ杖で歩き続けられる可能性もある。

家族や施設だけで、

「危ないから、これからは車いすにしましょう」と決めれば簡単です。

でも、それは誰の人生でしょうか。

必要な情報を伝え、選択肢を説明し、

「あなたは、どうしたいですか?」と本人に尋ねる。

もちろん、認知機能や身体状況、安全面などから、本人の希望だけですべてを決められない場合もあります。

それでも、最初から本人を意思決定の外に置かない。

自分の人生について自分の意思を表す機会を守ることも、介護の重要な役割です。

7.「話してくれたこと」を預かる ― 秘密保持

ご利用者様から聞いた病気、家族、過去、人間関係、悩み。

それらは職員が自由に話してよい情報ではありません。

必要なケアのための情報共有と、単なる雑談は違います。

「この人になら話しても大丈夫」

そう思って話してくれたことを大切に扱う。

秘密を守ることは、単なる情報管理ではなく、ご利用者様との信頼関係を守ることでもあります。

7つ全部を、毎日完璧にできるでしょうか

ここまで読むと、

「介護職員なら当然でしょう」と思われる方もいるかもしれません。

しかし、実際の介護現場は教科書通りには進みません。

呼び出しコールが鳴っている。

食事の時間が迫っている。

記録が残っている。

別のご利用者様からも呼ばれている。

そのとき、「ちょっと話を聞いてほしい」と言われる。

本当は椅子に座ってゆっくり聞きたい。

それでも、「ごめんなさい。今忙しいので後で」

と言わざるを得ないこともあるでしょう。

同じ話を何度も聞いているうちに、

「その話、昨日も聞きましたよ」と言いたくなる日もあるかもしれません。

介護職員にも感情があります。

疲れる日もあります。

7原則を知っていることと、忙しい現場で365日完璧に実践することは同じではありません。

だから、バイスティックの7原則を、できていない職員を責めるための「採点表」にしては

いけないと思います。

むしろ、「あのとき、もう少し違う聞き方ができなかっただろうか」

「自分の価値観で判断していなかっただろうか」

「本人が選べることまで、こちらで決めていなかっただろうか」

と、自分の介護を振り返るための物差しとして使うことに意味があるのではないでしょうか。

完璧にできなかった日があっても、知っていれば振り返ることができます。

そして次に同じ場面に出会ったとき、ほんの少し対応を変えることができます。

教育には、そうした意味もあると思います。

コミュニケーションも、介護の「技術」です

介護技術というと、移乗、食事、排泄、入浴などの身体介護を思い浮かべることが多いでしょう。

しかし、

話を聞く、感情を引き出す、否定せずに受け止める、自分の価値観を押しつけない、

本人が選択できるようにする、秘密を守る。

これらも、ご利用者様の生活を支える大切な介護技術です。

NAIの「動画でOJT介護」座学編では、「バイスティックの7原則」を具体的な場面を通して分かりやすく紹介しています。

大切なのは、7つの名称を暗記することではありません。

日々の介護の中で、ときどき立ち止まり、

「今の自分の言葉は、本当にこの人の気持ちを尊重していただろうか」

と考えてみることです。

介護のプロとは、何でも代わりにしてあげられる人ではないと思います。

その人の話を聞く。

その人が歩んできた人生や価値観を知ろうとする。

そして、その人自身が考え、選ぶことを支える。

介護におけるコミュニケーションとは、単なる「話し方」ではなく、「その人を一人の人として尊重するための技術」なのではないでしょうか。